日記帳

ぼくの日記です。

2014年12月3日

俺の回りには図太い人がいる。俺の回りどころか街中にいてもなんだこの人と思うような人は少なくない。その中で俺は幼い頃から親に「人に迷惑をかけないように生きろ」という風なことをよく聞かされていたように思う。確かに人に迷惑をかけずに生きることは大切だ。それが出来たら極力争いも避けられるし、それができた大人の姿なのだろうなと幼心に想像していた。

では「人に迷惑をかけずに生きる」ことを強く教えられた俺はあの頃思い描いたようなできた大人になれたのだろうか。俺は今この歳になってそうなれたかと思うと、どうもそうは思えない。かといって図太く育ったかというとそういうわけでもない。確かに俺は人に対する迷惑を考えられる人間になったと思う。しかしそれがちょっと行き過ぎたところにいると思う。例えば、些細な間違いで人に迷惑をかけたときなんかはひどい罪悪感に一日中へこんでしまうこともある。何で自分はこんなことをしてしまったんだろうとか、迷惑をかけた人に対する申し訳なさと自分への不甲斐なさでいっぱいになる。それどころか何もしてないときにも誰かに迷惑をかけてないだろうかなんて気にしてしまうこともある。

そんなものは自分の妄想に過ぎないということはわかっている。ただ、一番思ったことは、子供を育てる上で親の教えは強烈な強制力を持っているということ。今や俺はこうなってしまったことで親を恨んだりはしていないけれど、もし自分に子供ができることになれば慎重によく考えて育てていこうと思う。

それにそうなったことで色々考えることができた。上に迷惑をかけていることは自分の妄想に過ぎないと書いた。しかしそれは妄想ばかりではなく、実際に知らず知らずに人に迷惑をかけていることは多いと思う。迷惑をかけてしまうことはどうしても避けられないことだ。それは誰にでも共通することであって、だからこそ自分が他人のそれを許すことができる人間になることが一番大切なことなんじゃないかと思う。

人に迷惑をかけないことは確かに大切なことだけれど、他人の迷惑を許すことができることもそれと同じくらい大切なことだ。俺はそういうことができる人間になりたい。あと、迷惑をかけてもすぐ切り替えられる人間になりたい。