2023年6月10日
人生がまじでキツいという話。
まじで毎日死にたくなってる。何なら、毎秒思ってる気すらする。
昔もそういうときあったけど、いつからか数年ぶりに死にたくなって以來ずっとそれを感じ続けている。
人生は進めば進むほど責任だけがクソ重くなってくる。なのに、それに反比例するように人から褒められたり感謝されることもなくなってくる。
そして、その苦しみを打ち明けようとも誰も助けてはくれない。身内であろうと心配して(いる素振りをみせて)くれはするが何か行動を起こしてくれるようなことはない。
自分の人生に責任を取るべき人間は自分以外にはいないのだ。
老いて枯れるまで地獄を耐え抜くか、すべてを投げ出してすべての人から白い目を向けられ孤独に生きるのか選択できるのは自分だけなのだ。なんて自由なことだろう!
どちらにせよ幸せな未来は見えないし、どうやら苦痛に満ちた日々を耐え忍ぶことはこの世界にとって当然の話らしい。
こんな毎日は送っていて生きている意味あんのかと思う。たぶん、人から見れば幸せに映っているだろうが、人は何かを得れば何かを失うわけで総量で見ればどうなっても幸福ポイントがマイナスになるように俺の脳みそは作られているんだと思う。
完全に養分。まわりのすべての人間や社会に己の身を削って差し出す為だけの人間。
こうなってしまったのは俺が他人に言われるがまま生きて、何も自分のやりたいことなど見つけられるこの歳まで来てしまったわけで、悔やんでももう遅いことなのだ。というより、どう生きてもこうなっているんだとしたら悔やむ意味もないが。
ってかどうすんの?まじで。これ、いつまで続くん?もう限界は超えてるんだけど?
無理すぎて普通に仕事とか休んでるしな。笑えんてば。キツすぎまじで誰か助けてよ。
ってかめっちゃ頑張ってるんだから誰か褒めてくれるくらいしてよ。タダなんだからさ。な?こどもなんか何したって褒められるんだからいいよなまじで。
大人げない?知らんがな。その大人ってやつをみんなが必死になって守ってなんの意味があんの?みんなで褒めあってハッピーになったほうが絶対良くない?という主張をしていく。