日記帳

ぼくの日記です。

2017年12月13日

何でもないような事が、幸せだったと思おう。

結局そうなんですよね。

 

あゝなんて僕は不幸なんだ。幸せになりたい。幸せになりたい。

 

幸せって一体、どうなったら俺は幸せなんだ、テメェはどうなりたいんだって考えてみたらどうせ俺の事だから、どんな状態になっても自分の事を不幸だと思うんだろうなと、思った。

 

 

話は変わるが、俺曰く、俺を含め大体皆自由だ。人生の中で常に自由な選択をしてきて、出来上がったのが今の俺や君ってワケ。つまり俺は常に自由奔放に生きて、したい事は全部して願いは叶えてきたという事だ。

だから俺は自分の人生に後悔というのはないし、もし人生の後悔を修正できる能力があったとして、一分の無駄のない人生を作り上げても、逆にそれって一体何の意味があるの?って思うワケ。そんなら生まれた瞬間死ぬのが一番合理的ジャンってね。

 

人生って無駄だらけなもんでむしろ、無駄を楽しむのが人生みたいなとこあんジャン?

無駄だらけな人生で自由奔放に流れて彷徨ってる俺って、既に幸せなんじゃね?って思うの。そりゃあ、ドーパミンどっぱどっぱ出るような「幸せ〜〜〜」みたいな感じはないけどさ、どっちかっていうと砂漠?スフィンクス?的な?感情の少ない日常だけど、でも全部俺がしたくてした選択だけが今の俺を作ってるわけじゃん。

 

中山石梁のCMみたいなのが幸せの形だと俺は思っていたんだけど、実はそれって俺が大人に成長するまで知らず知らず大人たちに洗脳された幸せのイメージに過ぎないのだよ。

 

常に自由に選択して生きているって、じゃあさ、これもう完璧じゃん。これ以上ってないじゃん。

 

ってなるまた問題が出てきて、これ以上の幸せがないのだとしたら俺達は何を目指して生きていったらいいんだ。ってね、なるわけですよ。

 

幸せは手に入った。次は何をしたらいい。

 

俺は気分屋だから、明日にはまた自分の事を不幸だとか思ってそうだけど。

 

飽きた、寝よ。