日記帳

ぼくの日記です。

2014年12月11日

 雨が降るとよく考えることがある。「何で傘をさせば防げる程度の雨しか降らないんだろう」と。地球はここまで大きいのだから大陸が沈むくらいの大雨が降ってもおかしくないとは思うのだけれど。雨だけじゃない。海が裂けるような地割れや新しい大陸ができるような噴火も起こらない。俺の持っている知識なんかはないに等しいけれど、これらのことについてはちょっと都合が良いような気がする。地球の外についてもそうだ。何故か都合よく太陽が存在し、何故か都合よく地球はそのまわりをちょうどいい距離でちょうどいい周期で回っている。
そもそも何もなかった地球から生命が誕生すること自体、完全に起こり得ない程の奇跡だということを聞いたことがある。それが自然や動物や人という風に形を変えて共生していることもまた、数えきれない奇跡の連続の上に立っていると思う。
俺はこれらのことは全て何者かの手が加えられているのではないかと思った。奇跡ではなく何者かの導きによって起こった必然的な事柄なのだろうと。だとすればその何者かは一体誰なのだろうかと考えたとき、まず思い浮かぶのが神だ。
神は俺を作って一体なにがしたいんだ。生物は何のために作られたのか。そもそも生物の本来の目的というものを考えればそれは、子孫を残すことにあると思った。では何故子孫を残さなければならないのか、ということを考えると俺は子孫を繋げていく鎖の最後にはゴールみたいなものがあるんじゃないかと考えた。あらゆる種はそのゴールに向かうため、本能的に子孫を残していく。ではそのゴールとは一体何なのか。これを神と結びつけて考えると、もしかすると神は次に神になる種を作ろうとしているのではないかと思い浮かんだ。
神は次の神を作るため、宇宙という庭を作り、その中で地球という観察池を作った。そこに生物の種となるものを投げ入れ、どこかで観察しているのではないだろうか。その庭には地球の他にもいくつか観察池が存在して、様々な環境のものの中で様々な種の生物を育てているのだと思う。
全く全部がなんの知識もない素人の想像上の話だけれど、そういうことがあってもおかしくはないのかもしれない。というか想像するのが楽しいから実際どうだろうとなんでも良いや。