日記帳

ぼくの日記です。

2015年1月7日

 大学に入ってから3年経ちますが未だに友達と呼べるような人間がほとんどいません。今でこそ、この状態にも慣れ快適に暮らす術を身につけることができましたが、まだ1、2年の頃はそれはそれは辛かったです。何も外から苦痛を与えられることもないのに、ただ一人でいるというだけのことが何故こんなにも辛いのだろうと思い悩みました。
 そして俺は現実に目を向けることをやめ、ネット上に友達と呼べる存在を探すことにしました。孤独というものは人間に共通して怖れられるものだということを昔から何となく思っていましたが、ネット上で友達を探している内に、そのことがより一層強く思われました。或るサイトには俺と同じような人たちがたくさんいて人恋しさに任せては、うわ言の様に友達友達と繰り返していました。俺はそこにいるだけで向こうから友達なりたいと言ってくれる人が現れるし、また、こちらからも近づくことが出来ました。そうして出来た友達はまずメル友と呼ばれる存在になるのですが、これがことごとく潰えるのです。それはもう、長く保ったところで3日とかいうレベルです。
 そこでもまた俺は悩みました。何故誰も長く続かないのだろう。俺はつまらない人間なのかもしれない。みんな俺に見切りをつけて去っていく。という風に。確かに俺はコミュニケーションに関しては、話を盛り上げたり広めたりということは得意とは言えません。しかし、努力はしました。せっせとメールも送りました。
 そうこうしているうちに思ったことがあって、これはそこで関係を持っていたほとんどみんなに共通する事なんですけど、メールを送られることを待ってばかりなんですね。また、会話においても盛り上げようという気もなく、何の面白みもないまま聞かれた質問にただ答えるという淡白な一問一答が続くだけの形になってしまうことが多いです。
 やっぱり、友達がいない人というのはそれなりに共通した原因があるらしいです。自分自身を客観的に考えることがあまりありませんでしたが、実際にそのような人たちと触れ合うことで、他人の目には自分のことが彼らと同じように映っているんだろうなあと初めてわかったような気がしました。とはいえ、それを知り治そうと思ったまま現在に至り、治ったかどうかと聞かれると全く治ってませんけどね。気質というものは変えようがないのか、或いはまだまだ本気を出していないのか。と、考えると恐らく後者なのでしょうけど、今となってはこの状態が生きやすくなりつつありますし、変えたいは変えたいけどまあ悪くないかな、という感じです。
 とにかくわかったことは、受け身の姿勢が良くないということですね。当たり前の事ですけどね。しかし、俺に関しても現在に至り変化がないと言っても全く変わろうとしないことはなかったんですよ。でもその際に一番の障壁となるのが、他人に嫌われることがとてつもなく怖いことでした。受け身な人たちにも共通する事なんだと思いますが、とにかく俺は人に嫌われることが気が触れる程怖かったし、そのせいで自分を出すことが憚られ結局つまらない人間と思われるという悪循環に陥ることになるのです。しかし、その時は嫌われるくらいならつまらない人間と思われる方がマシとすら思っていました。誰からも嫌われない人間がいないということはわかってはいたのですが、どうしても自分を出すということが俺には出来ませんでした。それは今現在にも言えます。
 あのサイトにいた人たちが受け身の姿勢によって友達がいないということではなかったとすれば、ただ一時の人恋しさを満たすために繋がっていたいだけの関係を求めていたのかも知れません。どちらにせよ言えることは相手に対する愛がなかったということです。俺もそうだったのですが、受け身な人に言えるのは他人の自分に対するの評価ばかり気にしていて、自分の行動で相手を良い気分にさせられるか、ということについては全く考えの外にあるということです。気質を変えるとはとても難しいことだとは思いますが、他人に対するおもいやりを持った行動が出来ているかどうか、ということを一度考えてみたら色々とわかることが出てくるかも知れません。